快傑ハリマオの唄 (モデル人物)

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mansyuu
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快傑ハリマオの唄 (モデル人物)

投稿記事 by mansyuu »

三橋美智也さんの歌唱力がドラマを盛り上げていました。

カラー放送が開始された頃のカラー版ですね。
 
 
Display YouTube movie  快傑ハリマオ オリジナル バージョン
 
 
参考:モデルとなった人物

谷 豊(たに ゆたか、1911年〈明治44年〉11月6日 - 1942年〈昭和17年〉3月17日マラリアによる死没)は、昭和初期にマレー半島で活動した盗賊。福岡県筑紫郡曰佐村五十川(現在の福岡県福岡市南区五十川)出身で、イギリス領マレーに渡った後に盗賊となり「ハリマオ」として一躍知られる存在となった。その後、日本陸軍の諜報員となって活動した。ムスリム名「モハマッド・アリー・ビン・アブドラー」。

日本軍としてはこの劇的な日本人諜報員・谷豊に戦意高揚のシンボルとしての役割をも見いだし、彼の死は新聞でも報道された。

また、豊は「マレーのハリマオ」または「ハリマン王(ハリマオの転訛)」などとよばれて大々的に宣伝され、映画なども作られた。ハリマオはharimauと表記し、マレー語で虎のこと。この名前は「豊のマレーでの通称『ハリマオ・マラユ』」に由来するとも、「豊らの盗賊団を諜報員にした際の作戦名『ハリマオ作戦』」に由来するとも言われているが、いずれにせよ豊が死後英雄視される中で広まった名前である。こうして伝説的な英雄「ハリマオ」の虚像が一人歩きをはじめた。

大戦中に作られたハリマオのイメージは根強く残り、戦後も『快傑ハリマオ』としてドラマ化され、同時にメディアミックスで漫画連載もされた。しかし戦争が過去の物となり、アジアでの戦争行為について日本国内で批判的な見方が高まるにつれ、軍国主義のシンボルでもあった英雄「ハリマオ」は徐々に風化した。

谷豊は没後半世紀を経た20世紀末に再評価されるようになった。

豊が愛したマレーシアでも、1996年に初めて彼をテーマとしたドキュメント番組が組まれた、その番組のラストは次の言葉で締めくくられている。

“イギリス軍も日本軍も武器ではマレーシアの心を捉えられなかった。心を捉えたのは、マレーを愛した一人の日本人だった。”
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